ブランドのキャンペーンやLula Japanをはじめとするファッション誌、広告、アーティストのポートレートなどを手がける、引く手数多の写真家 熊谷勇樹。

写真を始めて10年を経た彼は、1つの区切りをつけるため、本作「Interlude」でこれまでの作品を書籍化した。

人間の身体の線や肌理、霞がかった砂浜、人影、波立つ水面、どこかの子どもの姿、列をなす人々、皺がれた手、星座、赤ん坊…。

師 横浪修から独立した後の過去5年間、さまざまな瞬間に撮り溜めてきた写真群は、その1つ1つにまつわるエピソードをはっきり覚えているというほど、作家の私的な記憶と深く結びついている。

それらは一方で「幕間」を意味するタイトルが示す通り、規定されることに抗うような匿名性を持ち、言葉を超えて鑑賞者の感覚へと接続されていく。

熊谷が節目として捧げる、神秘的で緊張感ある美しさに貫かれた1冊です。

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写真を始めて10年が経った。なぜ自分は何かに急かされるように、写真を撮っているのだろうと考えることがある。

写真は対象を四角に切り取る断定のメディアではないかと思ってきた。取捨選択をして、見たいものを明らかにさせる。しかし、どこか一部を切り取るとそれ以外の部分が消えてなくなってしまう。
現前してきたイメージを前に、消えてなくなった部分はどこに行くのだろう。何かを明らかにすることは、それ以外が引っ込むということだ。消失によって余地が与えられる。

そんな中、生活をしていると、身の回りで手に負えない出来事が起きることがある。想像を超えた不条理は心に異物感を置いていき、その異物感は理性的に処理できなかったり、一般的な定義で捉えられるものではないと感じる。

そもそも自分自身は不確かな存在で、私自身でも把握できない部分が大きい。自分を規定するものをどうにか作って、肯定しているのではないかと思う。また日常生活は写真のように、私に何かを判断をさせて、取捨選択をさせる。その繰り返しが生きていくことであって、心の異物感のある状態や選択に迫られることが日常であるとするなら、私にとって写真を撮るのは、そこから逸れる、離れる、遠くに行くことだと思う。

消失によって与えられた余白は、AはAであると規定されているところ以外の場所で、AがA'であるような別の可能性の拠り所になって、どこかでその可能性を期待させてくれる。 − 熊谷勇樹

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Yuki Kumagai/熊谷勇樹:
1988年、静岡県生まれ。写真家。第6回写真「1_WALL」グランプリを受賞後、初の個展「そめむら」を開催した。写真家 横浪修への師事を経て2016年に独立し、以降はフリーランスとしてファッション誌や広告、アーティストのポートレートなど幅広い分野で活動中。奥行きのあるリリカルな写真表現は、静謐な空気の中に独特の迫力を感じさせる。

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