ぼくの仕事場の、ロッカーのいちばん下の箱の中から、ぼく自身もうすっかり忘れ去っていた数十枚ものポラロイド写真が先日見つかった。数年まえに依頼されて撮影したあと、もうご用済みとしてとり残されたイメージの数々が、突如陽光に晒されることになった。それらは、淡いセピア色の、さだかならぬグラデーションのままに、エタイのしれないイメージの断片と化して見るぼくを茫然とさせた。すでにハンパない時の経過によって退化と退化を重ね、どこかイメージの廃墟と化した「時」の痕跡は、かつてそれを写したぼくとも遊離して、すでに次元を越えたサムシングとなり変っていた。つまりそのものたちは、ぼくに向けて、作為なき時のディテールを知れ、そして見よ、と言っているのだと思った。それは全ての人々に在る計り知れない時、空への「網膜の記憶」の在りようのことなのかもしれない。
-森山大道あとがきより