写真家・鬼海弘雄は1973年から45年間、浅草・浅草寺境内で
市井の人のポートレイトを撮り続けている。
そこに映る人の佇まいに魅了され、
一度見ると忘れられず、何度でも繰り返し見てしまう。

映画監督アンジェイ・ワイダも、
鬼海のポートレイトに魅せられてしまった。
彼の招きによってポーランドで展覧会が開かれ、
「王たちの肖像」と呼ばれていた一連のシリーズは、こう呼ばれた。

「PERSONA」

鬼海弘雄と彼の浅草ポートレイトの代名詞となり、
世界各地で続々と鬼海の「PERSONA」展が開催され、
2003年に刊行された同名の写真集は入手困難な伝説と化した。

伝説から15年──
前作以降に撮影された作品を編み、
ここに完結編と言うにふさわしい最新写真集を刊行。

朱色に塗られた壁のまえでレンズと対峙している者たちをとりまく緊迫した空気には、怯えも、悲しみも、傲岸さも、やさしさも、すべて剥がれ落ちることなく表現されている。
──堀江敏幸(本書・解説より)

PERSONAはけして終わらない。ページをひらくたび、たえず新しく波打ち、響き合い、生きつづける。
──いしいしんじ

「タレント志望だという青年」
「ただ頷くだけで、一言も話さなかった人」
「ちびりちびりとワンカップ焼酎を呑んでいた人」
鬼海の「PERSONA」の魅力の一つは、キャプションのユニークさにある。
写真が見せる存在感に加え、その人そのものとしか言いようのない形容と特徴がその短い一文に凝縮される。
写真だけではなくその言葉も、観る者の想像力をかき立てる。
そこにあるのは何なのか。
被写体は「一見、無意味な言葉やしぐさをあくまで貫き通そうとする」と、かつてアンジェイ・ワイダは語った。
「そうすることによって自分がひとり の人間──ほかの誰でもない、世界でひとりきりの人間になれるのだ」と。
鬼海は言う。
「ただ境内にたたずみ数時間を過ごし、何千人という人が行き交うなか、日に一人か二人に声をかけて撮らせてもらう。シャッターを切らない空振りの日も多い」
その際交わした言葉がこの魅惑的な短文の源だ。
ここに、写真家・鬼海弘雄の無比の観察眼と哲学を感じると言っても過言ではない。

“功利に傾斜しがちな社会では、他人に思いを馳せることが、
生きることを確かめ人生を楽しむコツだと思っている。
そのことによって、他人にも自分にも
やさしくなることができるかもしれない”
(鬼海弘雄)