先夜、ふとその気になって横須賀に出掛けた。8時を過ぎていたが、京浜・横須賀中央駅裏の飲み屋街<若松マーケット>は、うちつづくコロナのもと、あの賑わう店々の灯りがすっかりと消え去って、人影もまばらな、ただ仄暗い夜の路上と化していて、酔客の群れなどどこにも見つからなかった。ぼくは辺りの暗がりに向けて10数枚シャッターを切っただけで大通りに出ると、足は自然と<ドブ板通り>の方へと向かうことになる、しかしそのドブ板通りの灯りの点く店はまばらで、通りすがる人影もうすく、ただただ寂しいばかりだった。
ぼくは心の内で呟いた。それはそうだ、若かったぼくが、カメラを手にうろつき歩いたあの頃の横須賀は、もうとうに半世紀以上もまえの、あのベトナム戦争まっ只中の<ヨコスカ>の街だったわけだから…。

ぼくが、自らの写真の方向を、ストリート・スナップの方へとはっきり定めて写したのが横須賀であり、フリーカメラマンとなって一年目、25才のときだった。“絶対「カメラ毎日」誌に写真を持ちこんで、必ず掲載してみせるぞ” と、一人決意し意気ごんで撮りはじめたことを覚えている。そして、それからはカメラを片手に連日横須賀の街から町へ、大通りから路地裏へとうろつき歩いてシャターを押しまくる日々だった。
もともと基地の街の在りようは子供の頃から知っていたし、ぼくの体質にも合っていたわけで、横須賀を写すことの面白さも、相反する怖さも、ぼくは撮りたい一心で乗りこえていたと思う。

たった二日余りの撮影にしか過ぎなかったが、半世紀という時の経過による横須賀という街の変容と、そこを通りすがる現在(いま)のぼくが感応する、どこかよそよそしい街の景色との間に、時間と時代の変容が写し出されているのかもしれない。

− 森山大道あとがきより

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