<犬捕りの目冬日に定まらず>

亡き写真家・井上青龍 さんが詠んだ俳句で、ぼくが好きな一句である。いかにも井上さんの風姿を彷彿とさせる情景で、井上さんが写した数多くの路上写真の全てがこの句に集約されているとぼくには思える。昭和30年代の、大阪・釜ヶ崎(西成地区)一帯に拡がる通称“ドヤ街”に棲息する幾多の人々の日常の光景や情景を、ハンドカメラで生々しく写し撮ったドキュメンタリスト井上青龍さんの、魅力的で精悍な姿が、今でもぼくの瞼の向うに映り見えている。

 現在から60余年もまえ、大阪で写真の世界に飛びこんだばかりのぼくに、井上さんは“路上とは何か”をリアルに教えてくれた。それも、言葉でというのではなく、素早く釜ヶ崎を写し撮る井上さんの後姿を目に焼き付けるかたちで、ぼくは否応なく街路への道を刷り込まれていったのだ。

 そして、その後上京したぼくは、細江英公師のもとで3年間のアシスタント時代を過ごしたあと、24才でフリーカメラマンとなり、以降現在に至るまでの60年間というもの、ぼくが写す写真のフィールドは、じつに<路上>以外のなにものでもなく、そして在りし日の井上青龍さんの後姿は、若き時のぼくにとって、限りなくリアルにチャーミングに、ぼくを街路へと連れ込んでくれたのであった。

<幾人か足音消えし紫木蓮> 青龍

「記録」49号では渋谷の路上を撮った。
これまでにも渋谷のスナップは数多く写しているが、なぜか渋谷の雑踏の中に紛れていたい、人ごみの街頭にカメラを手に身を置いていたい思いに捉われていたのである。ただひたすら路上をうろついて、往き交う雑多な人々にレンズを向けて通り過ぎていたいと思うばかりであった。そして都合3日間渋谷を歩き廻って、ひとまず気が済んだというわけだったが、これで良かったんだよね、井上さん。
- 森山大道 あとがきより

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